About 2006年11月

2006年11月にブログ「東海大学 旭川キャンパス 神崎 実 のホームページ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

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2006年11月 アーカイブ

2006年11月29日

北画廊オープン

7条緑道8丁目にあった北画廊が9月末で閉まっていたのですが、今回12月1日より再度オープンさせて頂くこととなりました。
このギャラリーは私がこちらに来た当時にオープンしましたので、それなりに愛着もあります。
特にギャラリー創設時、オーナーの方が「旭川の芸術・文化に多少でも協力でき、若者達の作品発表の場となれば幸いです。」とおっしゃられたことが今も耳に残っております。
私と致しましても、このお言葉に恥じない様な体制で望みたいと考えております。
今後も今まで同様に利用して頂ければ幸いです。
尚、ささやかなクリスマスパーテーを行いたいと考えております。
12月16日(土)PM6:00より 会費1000円 学生500円
お誘い合わせの上、ご来場下さい。

2006年11月26日

犬の寿命

私の家にはチャッピーと云う犬がいる。
此処に来て4年が経とうとしている。4年前の12月のある雪の晩、ぼろ雑巾をまとったような犬が家の近所を徘徊していた。はじめはかわいそうにと思っていたのだが、次の日も次の日も一部の近所の人々から追い払われて徘徊している姿を見ていると、手を差し伸べたくなった。
その後2~3日餌を与えていたのだが、その犬が私自身の境遇と重なってしまい、家につれて来てお風呂に入れてやった。それを見た家の者は子供に云うように、「家では飼えないからね!」といわれた。
そのことを無視して今まで飼っているのだが、今では私でなく家の者が世話をしてくれている。
しかし、ここに来た時に10歳は超えていたのであろう。今ではほとんど目も耳も見聞きできる状態ではなく、立ち上がり歩くこともおぼつか無い状況である。犬のことを考えると安楽死との選択もあるとは思うのだが、そのことに対し家の者は涙を流しながら反対している。
このことで強く感じることは、どのような理由があったとしても動物を飼う以上、責任を持ってその動物が死ぬまで責任を取るべきだということである。
たとえその応えが安楽死としてもである。
昨今、引越しだとか解雇されたとかお金が無くなったとかで、犬を郊外に置き去りにしてしまう例が後を絶たないことに怒りを覚えるのは、私だけであろうか。
私も偉そうなことをいえる立場でないことは充分承知の上、提言させていただく。
育てる以上は自らの命が亡くなるまで、責任を取るべきだと思う。

2006年11月22日

よくやったよ!副知事

先日南幌町で、まちづくりと農業についての小規模ながら温かみのある勉強会があった。
講師は道の副知事を定年2年前で天下ることも無くお辞めになられた麻田さんだった。
これだけでも充分立派である。
数々の疑惑があった割に12年間市長を勤め、空港社長に天下った菅原功一さんに是非聞いて頂きたかった。
この麻田さん、現在は果樹園農家をやられていらっしゃる。
もともと北大で農業の勉強をされておられた。その後30数年間道庁にお勤めになられ、農業の最先端の現場で指導にあたられていたそうである。
しかし、副知事になってから現場での仕事が減った為、自ら農業をやられることを決められた様である。
また北海道農業の最先端にて指導されていた割にはアナログ的な発想をされており、現場でも遺伝子組み替え等の農作物の生産に反対されていた様である。
麻田さんの考え方は、北海道で生産される農産物の品質を上げると共に、生産性を高くして国内の自給率を高めようというものである。
その為には創造的な能力が必要で、幅広い知識と現場での経験が重要だとのことだった。
そして新渡戸稲造と内村鑑三の話まで出てきたことには、さすがの私も驚いた。
なぜなら東海大学を創設した松前重義博士は内村鑑三の勉強会で哲学や農業の幅広い知識を学び、デンマークの国民高等学校や農業政策を元にして国内に大学を創ったからである。
今回の講師の話は札幌農学校を卒業された内村鑑三先生からお話を伺っている様であった。それはあたかも今から70年以上も前にタイムスリップしたかの様であった。

2006年11月20日

琉球王国の方々と共に生きる

今回の沖縄知事選にて自民党の推薦者の当選が決まった。
私の予想は残念ながら外れてしまった。自民党党員の私としては喜ばしいことだが...。
選挙のことはここまでとして、今日は琉球王国のことについてふれたい。
今から百数十年より前、今の沖縄は琉球王国であった。北海道が蝦夷地と呼ばれ、アイヌの方々が先住民として多く住まれていた時代である。
当時の中国はアジアの中で最も先進的な国であり、西洋の新しいものの多くも中国のシルクロードを通り日本に入って来ていた。また中国の文化も多く入ってきており、龍の表現も多くの作品として国内に入ってきた。
しかし日本では龍の指は3本しか描いてはいけないとの取り決めがあったのに対して、琉球王国の人々やアイヌの人々には4本の指を描くことを認めていたそうである。
当然中国では5本の指の龍が本物であり、それに近い琉球の人やアイヌの人の方が中国から見て日本の人より文化面での評価が高かったのである。
その様な倭人が琉球の地とアイヌの地を占有して、はや百数十年経ったのである。
そろそろ人種関係なしに、この国で共に生きることは出来ないのかと切に思う。

2006年11月17日

沖縄知事選を北海道から考える

私は研究者としての仕事柄、ここ20年間に渡り全国各地を巡らせて頂いている。
特に沖縄にはここ10年間、毎年のように伺わせて頂いている。
お恥ずかしい話であるが、そのたびに涙を抑えることが出来なくなってしまう。
その場所の多くは沖縄戦にて部下と共に自害された太田中尉のいらした海軍参謀本部であったり、元沖縄県知事の太田さんが南端のバンザイヒル近くに創られた沖縄戦で亡くなった全ての人々の名前を刻んだ礎(実際には強制連行されて亡くなった数万人の方々の名前はまだ刻まれていない)だったりする。
今回の沖縄知事選挙での一番の争点はやはり米軍基地をどうするかであろう。
しかし今までと違うのは、どちらの候補も県外に基地を移設させたいと考えていることである
それは戦後60年経過した証でもあろう。
北海道に住む私達にできることは、少でも沖縄県民の苦痛を理解して米軍の一部を受け入れる大きいうつわを持つことだと思うのは私だけであろうか。
追伸
18日夕刻より南幌町の喫茶店にて、道副知事を定年前にお辞めになり天下ることも無く農業をはじめられた方のお話を聞きに行きます。

2006年11月12日

市長選後のありがたみ

旭川市長選挙が終わり早2週間が過ぎ去ろうとしております。
選挙後すぐに大学に復職して休職期間の遅れを取り戻すと共に、ご迷惑をお掛けした方々にご挨拶をさせて頂いております。しかし私の我がままではじめたことに対し、まだまだ多くの方々に選挙前にも選挙中にもご迷惑・ご心配をお掛け致したであろうこと、再度深くお詫び申し上げます。
また、勤務先の学生さん達や大学関係者にも休講したことをはじめとして、ご迷惑をお掛け致したこと深くお詫び致します。
この様な私の一念ではじめたことにも関わらず、勤務先の大学の同窓会やお世話になってた方々や今まで面識の無い方々からにまで、「よく頑張ったね。これからも応援するよ。感動した。」等のお言葉を頂くと、そんな立派な人では無い私は恥ずかしくなります。
その上、最近移り住んでこられた方々や若者から、「よそ者の代表として頑張ってくれ。このまちで頑張る勇気が出た。握手してもらえますか。」等のお言葉を頂戴すると、申し訳ない気持ちと嬉しさで感動させられる日々です。
そして最近何より嬉しいことは同世代の方々から、「今まで自分の考え方を会社や役所で言い難かったけど、今後は仕事場で貴方のように主張してみます。」といって頂けることや、若者達から、「私もまちづくりや政治活動に参加してみます。」とのお言葉です。
今の私にとって最もありがたいお言葉、心より感謝致しております。
ありがとうございます。

2006年11月07日

文科大臣に宛てた子供の遺書に思う

今回の遺書に対して、本人や同じ様な境遇の子供達が自殺しないことを心よりお祈り申し上げます。
また是非思いつめる前に、奈良美智の作品や葉っぱのフレディ(絵本)や兎の目(灰谷健次郎著)に目を通して頂けると幸いです。
私と致しましては、今後今回のようなことが起こり難い環境作りをする為に全力をあげたいと考えます。
チャップリンが独裁者の最後のシーンで残したメッセージを、私なりにこの国・この地域での未来の差別や偏見の無い環境にすることの出来るメッセージとしてアレンジし、送りたいと思います。

申し訳ない
私は利権の為に行動する組長にはなりたくない
できれば多くの市民と協力し合いたい
アイヌの方々も開拓者の方々も在日の方々も
市民はお互い助け合うべきである
他人の幸福を念願として―
お互い憎しみ合ったりしてはならない
上川の地には地域の人々を養う富がある
人生は自由で楽しい筈であるのにー
貧欲が人々を毒し―
憎悪をもたらし―
悲劇と流血を招く
スピードも意思を通じさせず―
機械は貧富の差を作り―
知識を得て人々は懐疑的になった
持論だけがあって感情が無く
人間性が失われた
知識より思いやりが必要である
思いやりがないと暴力だけが残る
インターネットとメディアは我々を接近させ―
人々の良心に呼びかけて―
上川の地をひとつにする力がある
私の声は全市民に伝わり―
失意の人々にも届くであろう
これらの人々は罪なくして苦しんでいる
市民よ失望してはならない
貧欲はやがて姿を消し
恐怖もやがて消え去り―
利権の為に行動していた人々は死に絶えるであろう
市民は再び権利を取り戻し―
自由は決して失われぬ!

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2006年11月02日

教育からまちづくり

休職期間も終わり、月曜から授業に取り組んでいます。
休職期間には自分のまちづくりに対する思いや教育・福祉に対する思いを大声で叫べたので
満足感はありますが
、その為にカードローンから200万円近く借りてしまったことについては、
少し不安も残っています。
ただ私にとっては、教育もまちづくりも作品制作等の表現と同じぐらい大切なことだと考えてい
ますので、後悔はしておりません。

今後、このまちの子供達が夢の持てる豊なまちにしていく為に、お年寄りが安心して暮らせる
まちにしていく為に、一番大切なことは教育だと確信しています。
それはこの大学の創設者松前重義博士が戦前にデンマークの国民高等学校の教育の様子
を見て、戦後の日本を復興させるには教育が大切だとの考えから東海大学を創設されたこと
にも起因しています。

私はまちづくりは人づくりだとの理念の基、今後も今までと変わらず学生とのふれ合いの日々
を大切にしていきたいと思います。