About 2007年03月

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2007年03月 アーカイブ

2007年03月31日

ご支援ありがとう

3年前の年末年始にかけてイランからの留学生と二人で買物公園にて行った、イラン地震被災者に送る義援金募金活動にて、多くのお年よりの方々や子供達よりカンパされた90万円近くのご好意に改めて感謝致します。
募金活動以降、彼は死に物狂いでアルバイトをしてイランから家族を呼び寄せて苦学をしておりましたが、この度、筑波大学の大学院生になることが出来て関東に引っ越しました。
当時より日本で建築構造の勉強をして本国での地震による被害者を減らすとの目的のために来日した彼にとって、この旭川での善意ある多くの人々の行為に勇気づけられたのでは無いかと、今更ながら思っております。

また、2年半前の菅原前市長のリコール署名活動を独りで始めた時に於いても、多くのお年寄りを中心に9万人を超える数の署名協力を戴いたことに、改めて感謝致します。
この年、旭川では例年より暑かった夏にも関わらず、多くの支援者の方々の支えがあったからこそ、多くの署名を集めることが出来たのだと思っております。
ただ唯一残念だったのは私に能力が足りなかった為、リコールを成立させることが出来なかったことです。

最後に昨年末におこなわれた市長選にて孤軍奮闘の中、何時も通りに独りで始めた政治活動・選挙活動に於いて、最終的に7515人の人々の支持を受けることが出来たことに、改めて感謝致します。
選挙活動終盤に於いて、奇人・変人だと言われている個性的な私に30人近い方々が駆けつけて戴いたことは、この地に地縁・血縁者の殆んど居ない私にとって誠にありがたいことでした。
その上、支援者十数人で選挙用の葉書8,000枚を印刷することも含めて、4日間程で手書きにて全て送付して戴いたことに関しても、頭が下がります。

私のような唯我独尊、故郷の山頭火や晋作のように生きていると思われている個性人に対して、協力戴いた多くの道民の方々に感謝致しますと同時に、今後も教鞭を執りながらまちづくり・作品づくりに尽力したいと考えておりますので宜しくお願い致します。

2007年03月13日

旭川の未来

先週一週間程、アメリカのボストンに行って来ました。
今回の旅行は文部科学省から科学研究費を頂いて、「数理美を生かした彫刻的な造形作品制作研究」の調査のために行って来たものです。
視察して来たところは、ボストン科学館・ハーバード大学・マサチューセッツ工科大学とボストン水族館等が中心でした。

先ず科学館については、アメリカだけでなく国際的にも高く評価されている展示がなされていると日本で耳にしておりました。それは入館者が展示品である教具を手に取って触わったり、実際に動かして学ぶことが出来るものとのことでした。
しかし実際に見て、これらの展示方法は、私達が1998年に秋山仁教授と旭川に於いて企画したマセマティカルアート展に比べると、質に於いても量においてもそれ程のものでもありませんでした。

次にハーバード大学・マサチュ-セッツ工科大学について、さすがに世界の教育機関を代表するだけのことはあり、設備の面でも環境の面でも教授陣の面でも日本の教育機関のそれを大きく引き離している感がありました。
ハーバード大学に於いては附属の美術館・博物館を5つも持っており、工学系を学ぶ者にとってこそ大切な調査・研究施設となっているそうです。
またマサチュ-セッツ工科大学に於いても、大学の研究施設の建物自体が芸術作品のような様相をしており、附属の美術館に於いては現代アート領域の作品までが展示されていました。
そして、この施設を工学系の大学が維持していることについても、日本では考えられないことでした。

最後にボストン水族館については、ある意味で今後の旭山動物園人気の維持をしていく為のヒントが多く隠されてたように、感じました。
余談ではありますが今回、ジョン・F・ケネディの記念館にも立ち寄りました。ここを視察して、アメリカ人が最も尊敬している大統領がJ・F・Kだと言うことの意味を深く知ることも出来ました。
また、逆に考えるとボストンの環境がJ・F・Kを生み出したとも言えるのではないかと強く感じました

実は西川市長と5~6年前より、旭川の未来についてよく語り合っております。
その中でも二人ともに意見が強く一致していたことが、ボストンのような環境の学園都市でありながら経済や研究活動も盛んな都市に旭川をして行きたいとの思いでした。
今後、私も東海大学での教育活動は勿論のこと、それと同時に地域経済活動に於いても藝術家・デザイナーの立場として協力して行きたいと考えております。

2007年03月07日

高杉晋作の思い

皆さん高杉晋作をご存知だろうか?
幕末の時代に活躍した侍であるが、坂本龍馬に比べると知名度はかなり低いかも知れない・・。
私も晋作と同じ萩市に生まれておきながら、詳しく彼の行動や功績を知ったのは数年前であるので、偉そうなことを言える立場でないが。

晋作は幕末の時代に何を感じていたのだろうか?
私が調べた範囲で解ったことは、幕府の長期間に渡る政権のために要領の良い人々が報われて、努力はしているけれど要領の悪い人々が報われない世の中に対して、不満を持っていたようである。
特に晩年に書いた「面白きこともなき世を面白く」に彼の幕末での生き様が述べられていると思う。
ここでの面白くとの言葉は、一生懸命努力して生きてる方々が豊に生きることのできる世の中のことを言ってたのだと考えられる。

今の時代、幕末の時代と似た処があると思いませんか?
ワーキングプアーの状況や高齢者に対する国の対応を鑑みると、晋作の思いは今の私達の思いに繋がっていると考えることが出来るのでないだろうか。
特に学歴社会ではなくなり実質的な能力や資格の時代になったと云われながら、もう何年・何十年経過したか考えると、この国の旧態依然の体質を感じざるを得ない。
それどころか、それに逆行するかのような偏差値輪切り教育的な学歴社会が再来している現実もある。

この国は何の分野でも努力して一生懸命働けば、豊な生活が保障される北欧のような国を目指していたのではなかったのだろうか。
それが幕末の頃のように役にたたない多くの官僚を生み出すような、或いは多くの国民が自分の子供だけには一流大学に進学させるような社会環境をつくることが、今後のこの国の歩む道なのだろうか。
私は決してそう思わない。
何時の時代にも何処の国に於いても、全ての分野において一生懸命努力している人々が身分や人種の違いに関係なく、報われ豊な生活が出来る環境を構築すべきだと考える。
晋作が幕末に思い行動していたように。