新年あけましておめでとうございます。
今年もマイペースでブログの更新を行なう予定ですので、よろしくお願い致します。
以前、旭山動物園成功の本当の訳を書いておりましたが、今回はその続きを述べたいと思います。
今から13年程前に菅原功一市長が誕生して、何が変わったか?
それは五十嵐広三市長の時に大切にしていた文化と芸術・科学に関する事業への支援が行なわれるようになったことだろう。
その行為は、市長選の時に五十嵐広三さんやユウカラ工芸館の当時館長の木内さんの支援を受けていたことに対しての感謝の気持ちもあっただろうが、彼自身が文化支援を大切だとも思ってもいたようである。
また、道議会議員の時に自民党党員だった菅原功一議員の理解者だった一人が、道議会議長も歴任された自民党の重鎮藤井猛さんだったことも重要であっただろう。
この時の市長選がこのまちにとってのターニングポイントとなったとも思われるので、少し内容を記したいと思う。
この時の市長選挙には波岸助役(自民党)と高原市議(社会党)と菅原道議(自民党)が出馬していたので、若くして社会党支援で当選した五十嵐広三市長と同様に彼の秘書もやったことのある高原市議が当選するものだと私は信じていたが、そんなに甘い政界でもなかった。
当時の菅原道議は自民党員でありながら、見え難い所で木内館長を中心とした社会党(労組)の支援を得ていた訳である。
その影で支持していた重要な方が五十嵐広三さんだったのである。
そんな背景の中で、当時の自民党の基礎票の4~5割程度と社会党の基礎票の3~4割程度を得た菅原功一市長が誕生したのである。
このことが板東市長の時に硬直化していた自民党中心の行政体質を変えることに繋がり、また社会党(労組)の支持も受けていたことが、議会運営を円滑に運ぶこととなった。
またこのことが、首都圏でバブルも崩壊してお金もない中で潰れかけていた動物園に予算を配分できたことにも繋がったようである。
つづく